コインロッカー・ベイビーズ (上)(下)

コインロッカー・ベイビーズ(上) (講談社文庫)

コインロッカー・ベイビーズ(上) (講談社文庫)

コインロッカー・ベイビーズ(下) (講談社文庫)

コインロッカー・ベイビーズ(下) (講談社文庫)

そこまでフェルミ推定をヨイショすることないんじゃないの? 『地頭力を鍛える 問題解決に活かす「フェルミ推定」』

地頭力を鍛える 問題解決に活かす「フェルミ推定」

地頭力を鍛える 問題解決に活かす「フェルミ推定」

フェルミ推定ってのは、

フェルミ推定とは、実際に調査するのが難しいようなとらえどころのない量を、いくつかの手掛かりを元に論理的に推論し、短時間で概算すること。

フェルミ推定の考え方は非常に面白いと思うんだけど、あの考え方を現実にあてはめようとするのは如何なものかと思うよ。仮定に仮定に仮定を重ねて大体の数字を出すって話なんだけど、それで算出された数字が実際の数字と近かったとしてもその数字には意味はないよね。仮定のプロセスで出した数字がたまたま正解の数字に近かったとしても、その数字を検証なしに使うわけにはいかない。そして検証するならもうフェルミ推定なんて必要ない。

フェルミ推定の面白さはあくまで思考ゲーム的な面白さだと思う。もしくは弁論術的な。それなのに本書ではフェルミ推定の実務的すばらしさについて延々書いてあるんだもんなあ。弱っちゃうよ。しかもフェルミ推定の具体例は1割ぐらいしか載ってないじゃん。俺はフェルミ推定を解きたかったんだよ!!

事前の準備は超大切 『さようなら!「あがり症」―10人から100人の前でラクに話せる』

さようなら!「あがり症」―10人から100人の前でラクに話せる (DO BOOKS)

さようなら!「あがり症」―10人から100人の前でラクに話せる (DO BOOKS)

あがらないためのテクニックがいろいろ書いてあってそれも役に立ちそうなんだけど、一番心に響いたのは「事前の準備に手を抜かない」ってところ。そうなんだよねー、事前にキッチリカッチリ準備しとけば多少緊張したところでどうにかなるんだよ。それが分かっていながら何で準備しないかというと、その物事について考えたくないから。考えれば考えるほど面倒くさくなったり失敗した時のビジョンが浮かんできたりして嫌になってくる。でも、そうやって逃避することこそが失敗に繋がるんだよなぁ。この前の学会発表の時もそうだったよ。英語での質疑応答が面倒くさい、う〜ん、まあ準備しなくてもどうにかなるでしょう、みたいな根拠のない言い訳でで自分をごまかして本番でグズグズになるという。
よし決めた。今度からちゃんと面倒がらずに準備する。多分。

へー、なるほど。 『戦争における「人殺し」の心理学』

戦争における「人殺し」の心理学 (ちくま学芸文庫)

戦争における「人殺し」の心理学 (ちくま学芸文庫)

人間は他人を殺そうとする時、例え大義名分があっても非常にストレスを感じる。兵士が100人いたら敵に向かって発砲できるのは15〜20人程、平静に人を殺せるの人間となるとせいぜい2人ぐらいしかいない。それに対して軍は訓練によって、兵士が敵を殺せるようにしてきた。

映画等々で主人公が弾幕の中を突っ切っても全然弾丸が当たらないのにはある程度実証的な説明ができるのか。みんな人を殺したくないから無意識のうちに外して撃っちゃうのね。嗚呼、愛すべき人間達よ。

実生活には生かせそうもないけれども興味深い話でした。ありがとうございました。

みんな真面目だなあ 「マイガール 4」

マイガール 4 (BUNCH COMICS)

マイガール 4 (BUNCH COMICS)

本の帯にドラマ版で主演をしている相葉雅紀の写真が印刷されてるんだけど、これはちょっと残酷だよね。相葉雅紀はまあまあいい男なんだけど(何様だ俺は)佐原ミズの画と並べられると残念ながら残念なことになる。これが2次元と3次元の間の越えられない壁か。現実とはかくも過酷なものよ。

ところで内容の話をしますと、片桐さんが可愛かったです。その可愛さは私の五臓六腑に染み渡りました。勿論コハルちゃんは可愛らしいし陽子さんは素敵でそれらも非常に結構なんだけど、片桐さんの懸命さというか愚直さが好印象。この3人に限らず題材が題材だけにこの作品の登場人物はみんな真面目なんだけど、ほとんどの人間が探り探り生きてるんだよね。その中で片桐さんだけが自分の幸せに関するビジョンを持っている。書きながら今思いついたことには片桐さんは自分の幸せを求めてるから他の人物とは違った輝きを放っているんだよな。対して他の登場人物は自分以外の人の幸せを求めている気がする。子供のために〜とか親のために〜とか。そこがこの作品の登場人物達の魅力でもあるんだけど、それは結論とか正答とかが無い道だからどうしてもトライアンドエラーや試行錯誤を繰り返し自分の気持ちを押し殺したりねじ曲げたりする迂遠な道になる。そんな中で、自分の衝動に従って気持ちをストレートに伝える片桐さんはやっぱり輝いている。

同じ理由で小春ちゃんと秋君のブランコエピソードや正宗君と陽子さんの告白(?)エピソードも輝いていた。やっぱりパッションだよね。自分の中の押さえきれないものを、相手のために相手を思う自分のために開陳するってシチュエーションが大好きです。

ちょっと余談を書くと、久々に感想を書いたら書く前に考えていた内容と結構違うことを書いていた。雨に濡れる片桐さん可愛いって書こうとしていたのに気がついたら片桐さんと他の登場人物の比較をしていた。何でそんなことになったかというと、自分が物事を思考するときに漠然とかつ断片的に思考するからだと思う。漠然と具体とは異なるので、漠然とした考えを明文化し形を与えていくうちに当然のように当初の考えとの齟齬が生じる。そして、具体的な文章を書いていくにつれてその書いた文章から影響を受けるから以降の文章も想定されていたものから少しずつ変わっていく。漠然とした考えを具体化することによって新しい何かを得ることは考えを文章に起こすことの利点の一つなんだろうけど、できることなら思考の段階で具体的で筋道立てられた考察をできるようになりたい。う〜ん、チラ裏だ。

なにはともあれ、片桐さんには幸せになっていただきたいです。